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【裏千家】逆勝手について。なぜ左右逆?なぜ2月?

茶道
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1月下旬になると、先生から「2月は逆勝手をやりますよ」とお声が掛かります。

私を含め、社中のお弟子さんからは「えーー。。アレっていつも混乱するんですよね ^_^;」の声が。

足運びもカクカクとロボットみたいな動きになるし、脳みそフル回転するも手の動きは止まりがち。。

そもそもなんで「逆」になるのか。茶人ならではの遊びの一種なのか??

それになぜ「2月」なんだろう。。。?

なにか理由があると思い、調べてみることにしました。

逆勝手の背景

なぜ2月なのか?

初釜のあとの1月下旬から2月。

一番寒い厳寒の時期なので、少しでも暖を取れるよう大きめの炉と、広口釜を使いたいという理由だそうです。

おもてなし」だったんですね。

そもそもなぜ逆なのか

裏千家にある8畳茶室の次の間が、逆勝手で大炉が切られているから、ということに由来されているようです。

なぜ逆勝手で大炉が切られたのか

歴史は、裏千家11代玄々斎まで遡ります。

天保10年(1839年)、千利休の250年忌に際し、玄々斎が「稽古の間」を造営しました。

嘉永2年(1849年)、知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)をここに迎えての献茶の折に、8畳広間の隣の6畳間に、暖をとるために炉を切ったとのこと。

6畳に逆勝手の大炉を切り、火力の大きな炭火で、14畳全部を暖めようという工夫がされたとのことです。

参考:裏千家今日庵「茶室・茶庭」、並びに、紋谷幹男「お茶を楽しむ生活」291.大炉について

このことから2月になると裏千家社中では、本家本元にならい、8畳広間の一画に6畳を見立てた大炉逆勝手の稽古が定着したようです。

尚、その「稽古の間」は、安政3年(1856年)、千家3代咄々斎元伯宗旦の200年忌の折に改修し、「咄々斎」と名付けたそうです。

大炉とは

大炉はその名の通り、通常の炉より大きく、1辺 54.5cm(1尺8寸)。

通常の炉は、1辺 42.4cm(1尺4寸)。

炉縁は丸太木地、炉壇は灰色の漆喰仕上げ、赤い雪輪瓦を炉に仕込みます。

通常モードとの違い

通常のお点前との違いだけを記します。

わかってはいるんですが、毎回脳みそフル回転です。。。

足運びの違い

  • 左足から入り、右足から出る

点前の違い

  • 帛紗をつけるのは、体の右側
  • 茶碗と棗の置き合わせの方法:
    運び出しのときは、普通に左手に茶碗、右手に棗。
    水指の前に置くときは、先に棗水指の左側(炉側)、次に茶碗で、一旦右手に取って水指の右側へ
  • 柄杓を置くのは、左手で
  • 帛紗は、下を外側に折り曲げて引き抜く
  • 引き抜いた後、三つ折りにするのは右ひざの上
  • 清めた棗は、炉の角と水指を結ぶ線上の、炉に近い側に置く。(通常の茶筅を置く位置)
  • 蓋置は、「3目3目」の場所から「5目5目」に移動させる。(広口釜の蓋は大きいので、ちょっとずらす意)
  • 茶筅通しの後、湯を捨てるのは左手。体勢がツライ。。
  • 茶巾で茶碗を清めるのは、右ひざの上
  • 水指の蓋は、水指の右側に立てかける
  • 仕舞で、茶杓を取ったらその流れで茶杓を持ったまま建水の位置をずらす
  • 建水の持ち出し。柄杓・蓋置は普通に右手で取り、建水も左手で取るが、立ち上がって建水回りするまでは建水体の右側をキープする。(腕が交差している状態)

あとがき

逆勝手は、茶人の遊び・趣味のひとつなのかと思っていたのですが、おもてなしの理由があったのですね。

なるほど。。。の学びになりました。

頭の体操にはなるので、奮闘しつつ歴史を学びたいと思います。

ご参考になれば嬉しいです ^-^♪

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kuraki

東京都多摩地区在住の座木です。
茶道での学びメモや、皆さんにシェアしたいなと思ったことなどを中心に発信しています。
2023年1月にブログを開設しました。

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